遠路遥遥 (えんろはるばる)

徒然にかきます

名乗るの忘れてました(犬上御田鍬で語ってみた)

やらかしました

皆様、大変申し訳ありません。2日目で毎日投稿を途切れさせてしまい、本人は深い反省と罪悪感に苛まれています。自分で決めた目標に忠実になれない。これが僕の悪いところでございます。もしかしたら、お怒りになる方々もいらっしゃると思いますが、まだまだ、まだ2つ目の記事でございます。どうかお許しを!

そして、昨日の投稿を見て気が付いたのですが、私まだ名前を名乗っておりません。「なんじゃそりゃ!」そう思った方は、この後全くご覧にならなくても大丈夫です。しかし、名前には、しっかり由来があります。今日はその名前と名前の由来について、ゆるくですが語っていきたいと思います。

Q.名は何と名乗る

A.みたすきと申す

ということで、私のなまえが「みたすき」で決まりました!また後々、解説はしていきますが、一応このブログに関しては、この名前で活動していきます。みたすきが管理するブログ「遠路遥遥」ということでこちらが本ブログの正式名称になっております。

Q.みたすき?なんじゃそりゃ!

A.犬上御田鍬(いぬがみのみたすき)が由来。

犬上御田鍬?なんじゃそりゃとますますなった方々へ一応、犬上御田鍬の解説をしていきたいと思います。

犬上御田鍬(いぬがみ の みたすき、生没年不詳)は、飛鳥時代にあたる7世紀前半・日本の人物。

  (Wikipediaから引用)

このように書いてあるわけです。誰だよ!飛鳥時代?ますます分らんわ?という方が増えたことと思います。もう少し分かりやすい言い方での解説を試みます。

最後の遣隋使そして最初の遣唐使

こうして犬上御田鍬を語らせると何となくすごい人だなと思いませんか?皆さんこの瞬間に「ああ、遣隋使ね」、「ああ、遣唐使ね」となるわけでございます。

え?ちょっと待った!「この人、遣隋使と遣唐使やったの?」そうなんです。この犬上さん実は、遣隋使、遣唐使どちらも派遣されているんです。

遣隋使、遣唐使が違う時代のものという認識は学校教育のせい

大半の方が、遣隋使は聖徳太子遣唐使聖武天皇東大寺の大仏と同じ時代と考えていらっしゃると思うんです。おそらく、学校で学ぶ分には、その認識でよいと思いますが、この男を知ろうとする際には、遣隋使、遣唐使がほぼ同じ時代で起こってるという認識をぜひとも持っていただきたいんです。ガラケーが使用された時代とスマホが使用されてる現代くらいの時間差しかないんですね。この間を生きている人間はこの世に何億人もいます。要するに最後の遣隋使と最初の遣唐使には、そこまで時間差がないんです。こんなこと学校教育では言いません。僕を責めないでください。学校を責めてください。

時代に適応するという意味を込めて

犬上御田鍬が激変する時代に他文化を吸収しようとしたように自分も時代の流れに柔軟に対応できればいいなと思いこの前にしました。これからは、今までの常識が全く通じない時代が来るかもしれません。というかそのような時代が絶対に来ます。今までの歴史もそうでした。そうした流れについていくには、自分自身でアンテナを張っておくほかありません。常に流行を見るようにしていきたいと感じるものです。

終わりに

さあ、自分の名前について語ってみました。なんかすごい自分の中では、しっかりまとまった記事になったなと思います。毎回、これくらい記事を書きたいですね。一日飛ばした分はしっかり取り返せたかな?たくさんの人に当ブログを見ていただけるように精一杯努力していく所存です。以上

 

 

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